彩縫箱

くまプーとシナモンがかわいくてたまらない。

おーくまさんのはなし。

職場で、課題がでました。

とはいえ、テーマは自由でいいとのことで。
次の企画展が製鐵関係なのでその辺りを調べている人が多いようです。


んで。
わたしも鉄関係なんですが、
迷った末に、ちょっとマイナー路線で
行ってみることにしました。


同僚「充実ちゃん、テーマ決めたー?」

充実「一応決めたんですが・・・
   マイナーなのでもいいんですかねぇ?」

同僚「いいよ。
   何でもいいって言ってたし。
   何にしたの?」

充実「『鉄と伊藤博文』にしようかと」


同僚「・・・(一瞬の間)へー!期限間に合う?」
   (傍から視ると調べるのが大変そうに見えるらしい)


充実「あ、はい。大体そろってるんで。」


そう、調べる期間が短いんですよね。
だから、大雑把には知ってるので
下調べが少なくてすむこのテーマにしたという部分もあり(苦笑)







ちなみに、課題が出される前、
他の同僚と、

「この写真、伊藤が真ん中にいるって言ってましたけど
 どこにいるかわかりませんよねぇ!?

と言って、
伊藤来所記念の集合写真
(教科書とかに載っている、八幡製鉄所の高炉をバックに撮った写真)のなかの
どれが伊藤か特定したりしてました・・・。


これでお客様に
「どれが伊藤博文なの?」
と尋ねられても大丈夫・・・!




で。
鉄道と製鐵所を中心に伊藤と鉄のことを調べてたんですが
鉄道だと大隈さんも加わってるし
今回の展示に大隈さんの史料もあるし・・・
で、テーマを、鉄と伊藤・大隈、にしてみました。



で。大隈さんについて調べてましたら。

大隈重信は書を書かなかったことで有名」という情報に遭遇。

わたしは全く知らなかったので驚いた。

なので、大隈自筆のものというのは本当に数点しか残っていないそうな・・・。


何で書かないんだ!?
手紙とかどうしてたんだ・・・!?
渡してすぐに燃やすよう言ってたのか・・・!?

とかいろいろ疑問に思って

さらに調べると




若い時分に、自分が字が下手なのをすごく気にしていたらしく、
あるとき
「そうだ!自分が字を書かなければいいんだ!」
とひらめいて、それ以来自分で字を書かないことを誓ったそうな・・・。


なので、ちょっとした手紙も全て口述筆記。


メモも取らず日記もつけず・・・。



それを貫くところが
頑固な佐賀人らしい云々という感想を書かれている方も。


逆に、こういうエピソードがあるから
「佐賀は頑固者が・・・」
と言われたのかも、ですよね・・・。



しかしー・・・
常に口述筆記って、
不便じゃなかろーか。
なれたらそうでもないのかなー。

「こんぐらい自分で書けよ!」
とか代筆者は思ったりしなかったんだろうか。
「こんぐらい」な内容は特に記したりしなかったんだろうかー。


人前なのに代筆者がいなくてどうしても自分が書かなきゃいけないとき
どうしたんだろう、とか、
隣の人に書いてもらったのかなーとか、
書かないことをここまで徹底してたら
ちょっと自分で書くときも妙に注目されて書きにくいだろうし
書かないから上達もなんもないだろうし
だったら適度にしたほうがしやすいんじゃ、とか

そんなことを昨日からいろいろいろいろ考えてしまっている充実です。



でも大隈さんは頭良かったんだろうなーと思います。
東大とか行く人って成績だけじゃなくて頭がよくって
メモとかそんなに取らなくてもちゃんと記憶してるらしいです。
そういうかんじで、記憶力とか頭とかよかったんだろうなー
だからメモ取らなくても大丈夫だったんだろうなーと。

しかし全く字を書かないと不便なのは明白なんですが
誓いを立てたときは気づかなかったんだろうか・・・。




そんな感じで調べていたら、
早○田大学のHPに行き着きました。


なんだかいろいろとすごかったです。

以下、抜粋。


(前略です)
 大久保と木戸とは互いに一目おき、敬意を払ってはいたものの、目指すところは背馳していました。比較的リベラルな木戸に対し、大久保は中央集権への志向が強く、政策上一致できぬ場合が多かったのです。

 しかし、薩長の対立は新政府の崩壊を意味することを知り抜いていた二人は、露骨な対立を避けました。それゆえ大隈を”身代わり”としてある時は味方につけ、ある時は政敵とみなし攻撃した可能性が高いと考えられます。

(『エピソード 大隈重信』より)」
ttp://www.waseda.jp/jp/okuma/people2/people204.html






(前略)
 表面でいかに争っていても、大隈は終生伊藤に敬意を払い、心の底で繋がっていました。彼は、どんな大事に出会っても涙を流したりしませんでしたが、伊藤が異国の地で斃(たお)れた時ばかりは、大泣きに泣いたといいます。

(『エピソード 大隈重信』より)」
ttp://www.waseda.jp/jp/okuma/people2/people205.html






充実は政府内の人間関係云々に疎いんでよく分からないんですが・・・
こういう解釈が一般的なんでしょうか??

「身代わり」って・・・!
「心の底で繋がっていました」って・・・!
メロドラマみたい・・・。







・・・にしても。
同僚に
大隈重信って滅多に字を書かなくて
 いつも口述筆記だったらしいですよー」
というと、
「それは・・・貧しくて字が習えなかったとかなの・・・?」
とか
「この人字がかけないんだ」
とか言われるのでそこは大隈さんの名誉のためにも(?)
書けるけど書かない旨、補足しておきました。