彩縫箱

くまプーとシナモンがかわいくてたまらない。

夏休み明けの課題テスト 国語・小説

家守綺譚の「サルスベリ」を問題にしてみるのは如何でしょう。


昨日書いたことの具体的な話!

2,3回は通して読んでると思うのですが。

一番初めの話を読んでいて





あれ?






と思ったところが一箇所。




それまでを簡単に説明すると、



英語学校の教師を辞め、
学生時代の亡き親友の実家の守をしながら
物書きとして暮らしている主人公。
床の間の掛け軸の中になぜかボートが出現し
近づいているのをよく見ると
亡くなったはずの親友が漕いで来る・・・



という、びっくりな場面なのです。



以下、引用。


―どうした高堂。
私は思わず声をかけた。
―逝ってしまったのではなかったのか。
―なに、雨に紛れて漕いできたのだ。
高堂は、こともなげに云う。
―会いに来てくれたんだな。
―そうだ、会いにきたのだ。しかし今日は時間があまりない。
高堂はボートの上から話し続ける。





このシーンを読んで、
今回、


ん?



と思ったのですが・・・皆さまは如何でしょうか。


私が気になったのはこのひと言。


「会いに来てくれたんだな。」





一見当然の反応にも思えるのに


なんでこの言葉が引っかかるんだろう?


と思ってちょっと考えてみました。


自分に置き換えてみると、
この場面でこの言葉が出てくるかなぁ?
と思うのです。




ここは高堂の実家なのだから、
この家、もっと広くはこの世界に

「来たのか」

「帰って来たのか」

「戻ってきたのか」


とかが出てくるのでは・・・?

と。

私だったら


「どうしたん?」
「なんしよん」
「なんしよったん」

とか言っちゃいそうだ・・・。




でもこの場面で
「会いに来た」
って思うことも場合によってはありうる・・・。

その場合は、
家族とかそういうかなり近い関係だと思います。

逆から考えると、
「会いに来た」
って思う辺りに、
どんだけの親友度合いだったかが
一瞬で伺えるような気がしました・・・。






で。
「会いに来た」でもありうるとして。

さらに考えてみます。

主人公は


「会いに来たんだな」

ではなく


「会いに来てくれたんだな。」

って言ってるんですよね。







あ。時間も時間なので

次回の「会いに来てくれたんだな」からはじめます。

次回までに意味調べノートに書いて置いてください。
では終わりまーす。