彩縫箱

くまプーとシナモンがかわいくてたまらない。

第2部終了・・・!


りょーまでん、
第2部が終了しました。


感想とか
つぶやきとか

書こう書こうと思って書いてなかったものとか


つれづれなるまま書いていきます。


個人的な感想で、史実や資料に忠実な見解ではございませんのでご了承くださいませ。


ご興味のある方のみどうぞー。





長いです・・・!あしからず・・・!







  • 2部の全体的な印象


2部は、龍馬は脱藩したり
「日本」を意識しつつも
結構土佐とのつながりが
深かったなーという印象でした。

3部は精神的にも土佐離れ?しそうな感じがします。







全体的には、武市さんがかなりキーマン…
第2の主役な感じで。



世の中の状勢がめまぐるしーく変わる時代なので、
まだ表舞台に出ている・・・とはいえない龍馬だけを
ピックアップしていると

世の中の動きはダイジェストか語りで済ませてしまって、
この時代に詳しくない人は分けが分からず
詳しい人は「え!?あの事件は!?」みたいなことに
なってしまうので、




武市さんが表で動いているところも
取り上げることで
どんな風に流れが変わっていっていたかを
分かりやすく紹介できた・・・
という役割もあったのかなと思います。





  • 幕末の長州

個人的には、
土佐をピックアップしているのを見ることで、
長州を再認識させてもらいました。

普段、長州ばっかりみているもので、
なんとなーく当たり前に思っていたことが

そうじゃないんだ、と。





後の時代を知っているわたしたちから見ると
土佐の状況は、古くて硬くて・・・って
見えるかもしれないけど、

たぶん、当時からすると
あの土佐も、
かなり走っていた方なんだろうなーと。





走っている方からすると、
もっともっと走っている志士とか
長州藩とかと交流があるから、
土佐はまだまだ遅れてる!
もっと走らなきゃ!




って焦るのかもしれないけど、
大多数の藩は止まってる状態なので、
全体から見ると、目立っただろうなー。


走りすぎてて、
土佐自体がピンチになりかねないから
ストップかけられた、という印象でした・・・。






藩の歴史が違うので、
幕府への距離も違っていて、
長州は全速力で走れる状況だったんだと思う。
でも土佐は、幕府に恩があったり・・・で
微妙な立場だったんだろうなぁ・・・。






倒幕派?の藩って
結構だーって走っているイメージだったんだけど、
ダーっと走ってたのはあくまで
長州だったんだなー・・・。

長州が走れたのは、

一つは、幕府に対する関ヶ原以来の云々かんぬんで
トップの方々が許容(率先?)してくれていたことだと思われます。





もう一つは、

走るどころか新幹線かワープかなにかで
はるか先まで思いが進んでいた・・・
そして実際に進んでいこうとしていた

吉田松陰がいたことかと。






教え子たちは・・・


あの大胆さとか



自分の進むべき道を
進むことの重要さとか





無謀?
己の信念の前には策謀などこざかしい!
みたいな真っ直ぐさとか



身近に接して学ぶところがあったと思う。





同時に、

志のためには、
突っ走るだけじゃなくて
状況を考えるとか、
予定や作戦は立てるとか、
ある程度の根回しは必要とかも、


先生には叱られるかもしれないけど
ある程度は重要だよね・・・





ということも学んだと思う。
でも、そちらに構いすぎて
本来の目的が達成されないのは本末転倒なので、

行くべき時は行く!

みたいな。


あとは、


時代をよくすることが
先生の無念を晴らすことになる・・・
という思いもあったのかな・・・。






というように考えていると、
聞多とか山尾さんとかは、どういうきっかけで
志士になったのかな・・・
ってちょっと不思議に思いました。



とはいえ長州もいろんな思想の人がいたり
時勢で保守になったり
いろいろいろいろ経ていったわけですけども。